- 「東京バンドワゴンシリーズ」、10周年おめでとうございます。
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ありがとうございます。満10年ということで、この作品を支えてくれた読者の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
でも、正直言うとどうしてこの物語を10年も続けてこられたのか、よく分からない部分もあるんです。僕としては、かつてテレビでやっていた文字どおりのホームドラマを書こうと思って、自分の中にあるものを、そのままスッと出しただけなんですよ。それが皆さんに受け入れられて、10年間も続けてこられたのは、何だろうなと不思議な気もするんです。
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テレビからホームドラマが消えて久しいこの時代に、『東京バンドワゴン』は一服の清涼剤になっている気がします。
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そういう意味では、パイは小さくとも、ホームドラマの需要はあるんだろうなとは思うんです。きっと、みんな心の中ではベタなお話が好きなんだろうなって。好きなんだけど、そんなこと言ってる場合じゃないし、いろんなことが複雑になって生きにくい時代になってきている。けれど、そういう時代においても、例えば、中学生の女の子がこの物語を読んで、「小路さん大好きになりました」という声を寄せてくれる。もちろん僕より年上の、60代、70代、80代の方までが、これを読んで、面白いと言ってくださる。
それを考えると、ちょっと見えてくるような気がするんです。ホームドラマというものは家庭、家族じゃないですか。みんなが自分の「家」というものを、しっかりと持って、大事にしたら、きっと世の中は良くなる。それが一番大事なんだって思っているはずなんです。それは分かっているのに、それができないこともある。しなくてもいい時代でもある・・・・・・。
そんな時代にこの物語がポンと出されたことへの、ある種の安堵感なのかなと思います。
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ベタなお話といっても、決して堀田家の人々はベタベタの関係ではないですね。以前対談したミムラさんも「家族の距離感が絶妙」とおっしゃっていました。
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ええ。ちょっと離れて、お互いがお互いを見ているっていう距離感ですね。それは僕の性格のせいでもあるとは思うんです。前にも言いましたけど、僕自身、別に、そんなに家族が大事と思っている人間でもないし、家が一番とも思っていない。
むしろ家族に対する情は薄いほうだった。そういう人間が文章を書くことによって生まれる距離感だと思うんです。
よく勘一が言いますね。「分かった、皆まで言うな」って。一から十まで全部お互いに言い合って、分かり合う関係というのも大事だろうけど、でも、堀田家の人々はそうじゃないのもOKだろうというスタンスです。言わずとも分かるだろう、言わぬが花、秘すれば花という感覚ですね。多分、これは日本人の中にDNAのように受け継がれている感覚なんじゃないかなとは思う。
- その心地いい距離感が読者に伝わっているんでしょうね。
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多分そうだと思います。作者として僕は、この物語の主人公は勘一だと思っているんです。勘一だったら何でも受け止めてくれる。悪いときは怒ってくれる、いいときはいいと言ってくれる。そして言わなくても分かってくれる。
彼へのそういう信頼感を堀田家の家族全員が持っているんですね。自分が踏み込んでほしくないときはそっとしておいてくれるし、踏み込んでほしいときには、ちゃんと踏み込んで助けてくれる。勘一が全て中心にあって、そういう見えない安心感によって堀田家というものが出来上がっている。言ってみれば、今の時代に失われつつある、そういう信頼感や安心感が共感を呼んでいるのかもしれませんね。
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一見、「お節介」なんですが、実は裏にそんな心の機微が隠されている。ほのぼのとした読後感はそこから来ている気がします。
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見た目はただのお節介です(笑)。だけど、この人は来てほしいんだ、言ってほしいんだ、この人にはきちんと突っ込まなきゃ駄目なんだというのが、堀田家の人々には本能的に分かるんでしょう。
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最新刊では、そんな堀田家のお節介のDNAが鈴花ちゃんとかんなちゃんという幼稚園組にも受け継がれているというお話も展開します。
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はい。今回は、かんなと鈴花に何か一つお節介をさせようと決めて書きました。幼稚園の子って、けっこういろいろ考えているんですよ。僕もそうでしたからね。幼稚園の頃、すでに家を出たいと思っていたような子供なので、その頃を振り返ると、相当いろんなことを考えていた記憶があります。
僕が通っていた幼稚園の室内に、しょぼい遊び場があって、その端っこに滑り台があった。その滑り台のてっぺんに、いつも一人で膝を抱えて座っている女の子がいたんです。僕はその子を見るたびに、あの子は、ちょっと家の事情が複雑だから、きっと寂しいんだろうな、かわいそうだなとかって考えるようなガキだったんですよ。今でも、そのシーンははっきり覚えています。
そういうことも踏まえて、幼稚園の子でも、勘一のDNAをくんだ二人なら、大人の事情に踏み込んだ、こういうお節介もきっと考えるだろうなと・・・・・・。そう思って、今回はこのお話を入れたんですね。
- 幼稚園のちびっ子組が活躍する一方で、研人くんが音楽で大人の仲間入りをする出来事も起こります。
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研人はもう高校生です。高校生でも世の中には、インディーズで才能を発揮する連中はワヤワヤいますから。その中に研人も滑り込ませようと思ったんですね。その研人の上には、当然、我南人がいるわけだし、鈴花とかんなのお節介の上には、当然、勘一がいる。そうして、それぞれの人生がずっと続いていく。それが堀田家の『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』です。
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もう一つ、この物語の要は、堀田サチという死者が語っていることだと思います。物語全体がすでに亡くなった人の慈しみに包まれている。これは作品の大きな魅力です。
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ええ、すでに死者である堀田サチの存在、目線はすごく大事です。と同時に、その目線をテレビカメラのような視点で切り取っているから、成り立つ小説でもあるんですね。現実問題として、亡くなったばあちゃんがずっといて、紺や研人には時々その姿が見えてしまうというのは、けっこう困ることでもあるわけです。
でもこの物語はサチの視線をテレビカメラとして扱っているのでバランスが取れているんです。だから、そのバランスには常に気を使っています。今回の鈴花とかんなが活躍する話では幽霊騒ぎが起こりますが、どこまでばあちゃんの堀田サチが関わるか。あの場面も、じつは相当気を使いました。生者と死者のバランスを考えて、ここまでは大丈夫かなとか、今まで連綿と10年間やってきた、堀田家の物語の枠内からはみ出さないように注意しました。
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何といっても、今回のメインイベントは、堀田家の秘密の蔵書を巡って、勘一御大、我南人たちがイギリスに繰り出す大仕掛けです。
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はい、10年目にして海外です(笑)。
「10周年なので、何か特別一本でかいものをやろうか」と担当編集者さんと話していて、「じゃあ、イギリス行っちゃおうか」ってことになりまして。事の発端は、『007』ばりのイギリスの諜報員が堀田家にやってくるわけですが、そこはテレビドラマ的に面白おかしく、これぐらいやってもいいだろうと大風呂敷を広げました(笑)。
- しかもロンドンでは、あのキース・リチャーズの特別出演も用意されている。
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以前、我南人の「親友」として物語に出てきていますので、それが伏線となって、今回はキースがロンドンで大活躍する。こんな展開は前にはまったく考えていませんでしたけど、出しておいてよかったなと(笑)。前の話の中で、我南人の音楽的才能をキースが認めているという大前提があるからこそ、今回の話も生きてくるわけです。キースならアメリカでもイギリスでも、どこでも物語に登場できますからね。
それもこれも10年間やってきたおかげで、いろんなキャラクターがいて、いろんなシーンを作ってきたからこそ、こういう仕掛けもできるんだなって、しみじみ思いますね。
- 堀田家の醍醐味、わいわい騒がしい食事風景も、巻を追うごとに筆がノッてきていますね。
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最初は誰が何をしゃべっているのか、それを表現するのに苦労しましたが、さすがに10年もやると、こなれてきますね。
かんなと鈴花という子供たちが増えたことで、ちょっと楽になりました。この二人のしゃべりで、躍動感も出るし、今の堀田家の中心はここなんだという家族の関係も鮮明に出せる。家族の会話って、子供ができるとどうしても子供たち中心になるんですよね。堀田家の今がまさにそんな感じです。
- 主人公である勘一さんは今年で86歳を迎えますが、読者としてちょっと心配です。
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勘一は、90までは確実に生きるだろうと思いますよ。実際、95歳でも元気でかくしゃくとしている方って、けっこういらっしゃいますので。その前に僕のほうが死んでるかもしれない(笑)。それは分からないですけど、ある程度物語が落ち着いたところで、『東京バンドワゴン イエスタデイ』という形で、過去にさかのぼって、堀田家の歴史を掘り起こすのも悪くないなと思っているんです。
今回、勘一の父親の草平や祖父の達吉のことにも触れていますが、その時代を描くのもいいなあと。もちろん、そのときまでこのシリーズが続いていればの話なんですが、そのための布石はいろいろ考えて書いているつもりです。
今回の物語は、言ってみれば、7作目の『レディ・マドンナ』と対をなす物語なんです。『レディ・マドンナ』は、タイトルどおり、堀田家の女性たちを前面に出した物語。それに対して今回は勘一であり、我南人であり、研人でありという男たちの系譜を前面に出した物語にしました。もちろん普段から彼らは主人公ではあるんですが、その思いを少しだけ強く前面に出した。
彼らが歩んできた、「長く曲がりくねった道」が、これからも続いていくだろうし、そこには若い連中も乗っかっているんだよと。研人であり、花陽であり、かんなであり、鈴花であり、彼らの若い世代が、その道をどんどん切り開いていくんだよという流れの物語なんですね。
僕としては、このシリーズを堀田家サーガとして、あと30年でも書き続けたい思いはあります。面白い仕掛けをたくさん用意しますので、10周年以降の堀田家にも、どうぞ乞うご期待、よろしくお願いします(笑)。