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──元気だった勘三郎さんが、どうしてあの若さで亡くなってしまったのか。この本でその経緯を詳しく知ることができました。体の不調は亡くなる2年前から始まっていたのですね。
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[波野] 2010年の12月からは本当にもう、私たち夫婦にとって、凝縮された日々でした。主人も私もずっと、前向きに闘ってきたんです。がんの切除手術を決めたのは、主人でした。息子の勘九郎が襲名披露公演の最中でしたから、手術を受ければ10月の名古屋公演に間に合うかもしれない、という思いからです。手術の前日でしたか、同じ病室にいるのに私にメールをくれました。「これが僕たちのまた新しい一歩だね。この運命を乗り越えて、あと20年は一緒に生きようね」と。
- ──その手術には成功したのに、その後ARDSを発症してしまったことが、残念な結果につながってしまいました。
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[波野] この本を出そうと決めたのは、そのことをお伝えしたかったからです。彼が食道がんを公表したのは、手術を受けて、治って、復活した姿をお見せして、同じ病気に苦しむかたたちに希望を与えたかったからだと思います。結果、こういう形になってしまいましたけれど、今がんで苦しんでいるかたたちには、希望を捨てないでいただきたいですね。また、ARDSのことを知るきっかけになればと思います。
- ──振り返るのは、つらい作業だったでしょうね。
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[波野] そうですね。ここまで病状を詳しく書く必要があるのかと、ご批判もあると思います。でもこれは、彼が最期まで必死に闘った記録です。見ていただくのが彼の本望だと思います。
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──本書は闘病記であると同時に、共に闘い続けた夫婦の記録でもありますね。勘三郎さんと奥様のなれそめや、ほほえましいエピソードも書かれています。
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[波野] 私たち夫婦は気性が似ているんです。ふたりとも、カッとなると後先考えずに行動に移してしまうので、夫婦げんかは日常茶飯事でした。でもふだんは、大事にしてくれましたよ。お誕生日、初デートの日、結婚記念日、クリスマスと、記念日は忘れずに、プレゼントやサプライズをいっぱいもらいました。
- ──夫婦の絆がそれだけ強かったのですね。
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[波野] 主人の口癖は「好江!」でしたから(笑)。まわりの人間があきれるくらい「好江、どこ?」「好江、聞いてる?」と。〝好江病〟だと言われていました(笑)。私が他の男性と話をすると、すぐに不機嫌になるんです。そして私に向かって「お前はああいう軟弱な男が好きなのか?」って。
- ──ふだんの勘三郎さんは、どんなかたでした?
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[波野] エネルギッシュでした。朝、ぼーっと起きてきたことは一度もありません。「よしっ」と元気に起きてくる。芝居に対する情熱は人一倍でしたし、同じくらい、遊びにも一所懸命でした。歌舞伎の公演が終わると次の日には飛行機に乗り、旅に出るのが好きでしたね。旅先でもぼーっと過ごすのは苦手で、ソファでくつろいでいても、2時間が限界。旅に出る前、あらかじめ自分でガイド本を買ってスケジュールをたてておき、観光名所とかも全部行くんです。せっかく来たんだから、もったいないじゃないかって。
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──舞台に出るとき、勘三郎さんはいつも緊張なさっていた、と本書にありましたね。豪放磊落なイメージもあったので、少し意外でした。
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[波野] 人前では何でも楽しそうにやっていましたから、そう思っているかたも多いと思います。本当の彼はとても繊細で、仕事を前に緊張して、脱毛症になったこともあります。子どもたちは、舞台に出る前はお父さんの手が冷たいことも、震えていることも知っていました。
- ──入院中の勘三郎さんは、どんなご様子でしたか?
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[波野] いつもの通りです。お医者さまやスタッフのかたたちともすぐに打ち解けてしまう。ある看護師さんが、こう言っていました。「こういう病状でも私たちがこんなに惹かれてしまうのだから、お元気なときにお目にかかっていたら、どうなっちゃっていたんでしょう?(笑)」って。人柄ですよね。
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──本書には、治療に当たられた医師の方々のインタビューも掲載されています。医療への不信が囁かれることの多い昨今ですが、今回の治療に対しては、どのように感じていますか。
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[波野] ECMO(エクモ)をはじめ、先進医療を施していただきました。でも、それでも正直、悔いは残ります。他にもできることはあったのではないか、と・・・・・・。日本の医学は水準が高いし、ICUも発達していて、スタッフも完璧です。ですけど、医師と患者の間での意思の疎通は簡単なことではありません。すべてを理解して治療に臨むことがどれほど難しいかということを、読者の皆様にわかっていただきたいですね。
- ──本書を書き終えて、今のお気持ちはいかがでしょうか?
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[波野] 主人を看取ってから毎日、〝去年の今頃は何をしていたのだろう?〟と思い返しています。ですからお葬式直後よりも、この7月末以降のほうがつらかったですね。手術をして、その後のことを思い出してしまいますから……。本人も、怖かっただろうな、と思いますし。……実は私、まだ一度も、仏壇に手を合わせていないんですよ。お経を上げてお焼香はしても、こう、手を合わせてしまうと、本当にいなくなってしまうような気がして。ですから今も主人は、そばにいてくれている、そう思っています。
- ──この本で言い尽くせなかったことは、ありますか?
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[波野] はい、勘三郎が素敵だったということを、もっともっと、皆さんに知っていただきたい。いくら言っても、言い足りないくらいです。でも、ずるいですよね。主人はこの先ずっと、若くて、カッコイイままなんですから(笑)。
- ──勘三郎さんという大黒柱は喪いましたが、これからも中村屋一門を見守るというお役目がありますね。
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[波野] 長男の勘九郎、次男の七之助、孫の七緒八と哲之がいます。平成25年4月の、新歌舞伎座のこけら落し興行では、2歳になったばかりの孫の七緒八も舞台に上げていただきました。私に何ができるかわかりませんが、これからも見守っていただければと思います。
- 中村勘三郎 最期の131日 哲明さんと生きて
- 波野好江
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2012年12月5日、不世出の花形役者・中村勘三郎逝去。役者として脂の乗り切った57歳での死は、歌舞伎界の屋台骨を揺り動かした。12年6月のガン告知から、入院、手術、思いもよらぬ合併症ARDSの発症による転院、そしてまた転院・・・。勘三郎の壮絶な闘病と、それを支え続けた家族の姿を、32年間共に生きた妻が綴った渾身の手記。【電子版・カラー写真多数収録】